歴史から学び、現在を楽しむ

~歴史とは、現在と過去との対話である by E・H・カー~



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2010-04-17

倹約とケチについて

戦国武将 伊達政宗の話です。

伊達政宗は倹約家で有名だったようで、お金に関する考え方について、
十分に現代にも通じることを言っています。


部下に山の中で、鳥を鉄砲で撃たせていたときのことです。
(今で言う「OJT」というとこでしょうか)

部下は火薬がもったいないので、撃つフリをしていました。

それを見て、伊達改宗が「どうして実弾で撃たないのか?」と問うと、

部下は「もったいないから倹約をしているのです」と答えたところ、

政宗は激怒して、

「馬鹿者!そういうことを吝嗇(今で言う“ケチ”という意味)というのだ。

私は、倹約はするが、吝嗇はしない。 必要なところにはお金をかける。

訓練に実弾を撃たずに、実戦の時に実弾が撃てるか!

必要なところに金をかけられないのは吝嗇というのだ」



「実弾での練習をせずに、本番で敵を撃ち損なったら、逆に損をする」


「倹約と吝嗇(ケチ)ということは違うのだ」

と言ったという逸話が残されています。


また、以下の遺訓も遺しています。

「気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。
倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」



-----------------------------------------------------
■■  編集後記

今回は、「倹約」と「ケチ」とは違う話題でしたが、
現代でも十分に通じるものがあります。


>>『バビロンの大富豪 「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか』<<

(アマゾン紹介にジャンプします)


という大ベストセラー(絶版時には、2万円もの高値で取引されていました)の
中でも書かれていますが、お金を増やすためには「自己投資」が欠かせないのです。


まず「貯蓄」と「自己投資」にかける割合を決めておき(1割から2割の間で)、
毎月の収入から、その分を引いて、残った後のお金を生活費にまわすと良いです。
(私自身は、手取り収入のうち、貯蓄に2割、自己投資に1割を引いています)


お金に関する本は数多くありますが、上に紹介した『バビロンの大富豪』は
初版1926年から今に至っています。


このような古典的名作と呼ばれるものを何回も読みなおした方が、
きっと役に立つと思います。


伊達政宗については、以前にも「伊達政宗とお酒について」を書きました。

一読されてみてください。

記事 ⇒ 『伊達政宗とお酒について』
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ジャンル : 学問・文化・芸術

2010-04-13

『あんたがたどこさ』

今回は、江戸時代(明治初期?)のわらべ歌についての話題です。

(先程、私の娘(4才)が、唄っていたので、気になって調べてみたら、
このわらべ歌に実は、面白い逸話があったので、ご紹介します)


『あんたがたどこさ』というわらべ歌は、ご存知の方が多いのではないでしょうか。


 これは、熊本市船場地区を舞台とした日本の童謡です。


 古くは女の子の手まり唄(まりつき唄)として歌われていました。


 また、熊本市船場地区の市電船場橋駅には、
親子たぬきやハガキたぬきなど様々なタヌキ像が建てられているそうです。


【歌詞】

あんたがたどこさ 肥後さ

肥後どこさ 熊本さ

熊本どこさ 船場(せんば)さ

船場山には狸がおってさ

それを猟師が鉄砲で撃ってさ

煮てさ 焼いてさ 食ってさ

それを木の葉でちょいとかぶせ



【童謡の謎】 船場?仙波?狸は徳川家康?

 『あんたがたどこさ』の「せんば(船場)」とは、熊本の船場地区ではなく、
埼玉県川越市の仙波山を指しているのではないのか?


 こんな有力説が存在していることを知りました。


 江戸時代後期の幕末に、薩長連合軍が倒幕運動のために
川越の仙波山に進行していたときのこと。


 付近の子供たちが、彼らは何処からきたのか尋ねる様子が
歌詞に描かれているのでは?ということです。


 川越市には「仙波山」があり、仙波山には徳川家康公を祀った
仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)が存在します。


 徳川家康は「狸」の俗称で知られていますね。


 こう考えると、「船場山には狸がおってさ」の部分は「仙波山」と
歌詞を書き変えても話の筋が通ることになります。


ややこじつけ気味ですが、説得力のある面白い解釈だと思います。


-----------------------------------------------------
■■  編集後記

 実は、同じくわらべ歌として有名な「かもめかもめ」にも面白い逸話がありますので、
気楽な話題をしたいときに(笑)ご紹介したいと思います。

 子供の時に保育園などで習った童歌について、調べてみると実は奥が深く、
当時の時代背景を映したものだと改めて思います。


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2010-04-04

切磋琢磨~徳川家康の逸話より~

昨日は、箱根神社に行ってきました。

(後ほど編集後記で・・)


■■ 週刊歴史ばなし

●今日は、武将 徳川家康の話です。


武田信玄が死んだとき、家康がこう言ったという逸話が残されています。


 「惜しいことをした。信玄のおかげて弓矢も鍛えることが出来たのだ」

 「これで部下が安心してしまう。武術の技も落ちるだろう」


家康は、自らの強敵は自分を磨く師匠だと言っていたのです。


仕事でのライバルはいますか?


自分自身がいま成長できているのは、ライバルがいるからかも知れません。

たとえ、あなたがムカつくと思うライバルでも、

あなた自信を成長させる貴重な人物かも知れません。


~徳川家康の武田信玄に対する逸話がWikipediaにもありましたので、ご紹介します。

師・武田信玄:

武田信玄に大いに苦しめられた家康ではあるが、施政には軍事・政治共に武田家を

手本にしたものが多い。


天正10年(1582年)に武田家を滅亡させた後、織田信長に武田残党狩りを命じられた際も、

信長の命令を無視し武田の遺臣をかくまった。


自分の五男・信吉に「武田」の苗字を与え、武田信吉と名乗らせ水戸藩を治めさせている。


有名な井伊直政の赤備えも、武田の猛将山県昌景にあやかったものである。


以上、Wikipediaから引用


■■  編集後記

最近、検見川神社から始まり、成田山新勝寺、

昨日は、箱根神社に行ってきました。


最近、パワースポットブームということもあるのか、

どこも参拝客がとても多いです。


私自身は、何か気を感じるとかパワーが得られるとかの

スピリチャル的なことを期待して行くのではありませんが、

どんな歴史的な人物が参拝しているのかを事前に調べて

行き、圧倒的な歴史の重みや、先祖が見てきたであろう

歴史的な建築物を見学に行っています。


箱根神社は源頼朝とも関係が深く、757年建造というから驚きます。


このような建築物を見ていると、自分が抱えている仕事上の悩みなど

取るに足らないように思えてきてしまいます。

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2010-03-29

人たらしの名人~豊臣秀吉~

【目次】
■■ わざわざ見る価値がある 厳選無料&激安情報
■■ 週刊歴史ばなし
■■ お金を出す価値のある 情報商材&セミナー情報
■■ 編集後記
──────────────────────────

NHK大河ドラマ「龍馬伝」を毎週日曜日に観ていますが、
いつ観ても元気になり、モチベーションがアップします。

(後ほど編集後記で・・)

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■■ 週刊歴史ばなし

今回は、豊臣秀吉の話です。

秀吉は猿に似ているといわれ、

町の人にもサル、サルと噂されていたようです。

秀吉はそのことをよく知っていて、

町に出て、

 「俺は猿に似ていない。猿が俺に似ているのだ。」

と言って、町の人を笑わしたようです。

この逸話でも彼の人柄が、大らかだったことがわかります。


最近、読んだ本の中で、「国友藤太郎」という人物を知りました。

後に武田勝頼を破った長篠の合戦で使用された鉄砲を作った

国友鍛冶の基を創った人物です。


一向衆に勝利した後に、秀吉(当時は藤吉郎)を狙撃したのですが、

狙撃は不首尾に終わりました。


信長の場合は、自分を狙撃した杉谷善住坊という兵を残虐な仕方で、

処刑したのですが、藤吉郎は狙撃した国友藤太郎を召し抱えたのです。


天下統一して権力者となった後の秀吉には、あまり良い逸話はありませんが、

大名格の頃には、当時の常識を超えた“人たらし”と言われる逸話の数多くの

一つだと思います。


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■■  編集後記

「龍馬伝」は、私が知っている経営者の方も絶賛しているだけあって、
非常に勇気づけられる内容です。

オープニングの音楽から、テンションが高くなり、観終わる頃には、
自分に課せられている仕事を全うせんといかんぜよ!とか思ってしまいます。

うまく出来ているドラマだと思います。
(平日はテレビを全く観ないのですが・・)

今は、大不況とか言われている厳しい時代ですが、当時は現代人が
想像もつかない命をかけた時代だったと感じます。

現代は命をかけるという言葉は古いですが、幕末に似た混迷期とも、一部では
言われていますので、何か使命を帯びて全力で頑張るときなのかも知れませんね。

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2010-03-29 │ 週刊歴史ばなし │  コメント : 0
2010-03-23

温故知新~武田信玄の逸話より~

【目次】
■■ わざわざ見る価値がある 厳選無料&激安情報
■■ 週刊歴史ばなし
■■ お金を出す価値のある 教材&セミナー情報
■■ 編集後記
──────────────────────────

こんばんは。
今日まで3連休だった方も多いのではないでしょうか?
健史は、成田山までドライブしてきました。

(後ほど編集後記で・・)

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■■ 週刊歴史ばなし

前回に引き続き、武田信玄の逸話です。

老人は、若者にあまり相手にされないのは今も昔も同じようですが、

武田信玄は温故知新という意味をよく理解していたのではないかという逸話があります。


武田信玄は若いとき、鹿島伝右衛門という名の老人に、

「私の話し相手になってください」と頼みに行きました。


鹿島伝右衛門という老人は、

若い頃は武名を挙げていましたが、後に髪を剃って久閑(きゅうかん)と名乗り、

伊東に引きこもっていました。


信玄はそれを聞いて、三千貫(=三万石)の土地を与えて甲斐に招こうとしたのです。


老人は隠居の身だと言うことで断りましたが、

武田信玄がこう言ったそうです。


「あなたの顔のシワとシワの間にある宝物をわけてください」

「どうか経験という大切な宝物をください」


と、頭を下げて頼んだのです。


信玄は久閑に春から秋まで夜な夜な軍物語をさせました。


そしてその軍物語を信玄は、自ら筆をとって書き記した、とのことです。


引用:常山紀談


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■■ 編集後記

最近、職場で色々な出来事があり、少し参り気味だったので、
気分転換に成田山の新勝寺に行ってみました。

全国的に有名な神社ですが、参拝客が多いのも頷けました。

歴史が古いということもありますが、成田山全体が新勝寺のためにあるような感じで
(よく分からない表現ですかね?)、
神社も圧倒的な存在感で威圧されました。

占いの店も数多くあり、占いなんてこれまた生まれて初めて行きましたが
(私、これでも理系ということもあるのか、毛頭信じていませんでした)、
性格や職業や今の状況をズバッと言いあてられたので、正直驚きました。

もちろん、占い師という職業が人を見るという意味のプロなのかもしれませんが、
一瞬で人を見抜くということに驚きました。
(生まれた年月とか、自分の運命とやらに本当に関係あるのか分からないので、
そこはどうでも良かったですが・・)

どんな仕事でもそうですが、人を見る目を養うことは大事ですね。

職場や周りの人をよく観察することも面白いものです。

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2010-02-26

武田信玄~自分の好きなことは後回し

先程まで、オリンピックを観ていました・・・詳しくは編集後記で。
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【目次】
● 週刊歴史ばなし
● [厳選!お薦めレポート]
● 編集後記
──────────────────────────

● 週刊歴史ばなし

武田信玄の話です。


信玄にはある信条がありました。


信玄は側近に、こう諭したそうです。


「私が戒めているのは、自分の好きなことはなるべくしないこと。

むしろ、嫌だなと思うことをするように努めている。

これが今、身を保っている理由だ」



なぜかと言うと・・・

嫌なことを先延ばしにすると自分自身を弱くし、

最後には横着になるからという思想からです。


先に嫌なことから片付ける人は自分を強くし、

最後には好きなことしか残らないからではないでしょうか。


● [厳選!お薦めレポート]

『ダイナミックな人生を生きる方法』

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● 編集後記

今日は、冬季オリンピックを観ていました。


フィギュアスケートの浅田真央選手が活躍していますね。

(本人としては、納得した結果が得られなかったようですが・・)


本番でこれまでの練習結果を発揮するには、“絶対に成功するぞ!”

という自信が欠かせませんが、

この舞台にたつことが出来るに至った自信はどこから生まれたのかに

興味がありました。


彼女が子供のときには、何の経験もなく自信が生まれようがないと

思われるかも知れません。


実は、“自信”というものは自分の「過去」「現在」「未来」から
得ることが出来ます。


たとえ、過去や現在に実績がなくても「未来」を思い描くことで、

自信を生むことが出来るということが、心理学でも証明されています。


彼女の育った家では、子供の時からトイレにオリンピックの旗が

貼られていたそうです。


まだ何の経験・実績もない少女は、「未来」を向いて、

自信を持っていたのだと思います。


これまでの実績や、経験が不足していたとしても、

未来を向くことで自信を生むことができる
ということです。

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2010-02-26 │ 週刊歴史ばなし │  コメント : 0
2010-02-15

酒井の大太鼓(さかいのおおだいこ)

酒井忠次は、徳川家康の幼名:竹千代の人質時代から近侍し、
家康が独立した後は家老となり、“徳川四天王”と言われます。

三河一向一揆や姉川の戦いを始め数多くの戦場で活躍しました。

長篠の戦いでは武田軍の背後から奇襲を敢行し、勝利に貢献したとされています。

外交面では、織田信長の追及をかわせず家康の嫡男信康を死に追いやってしまう
などの失敗もありましたが、徳川家初期の中核を担いました。

■酒井の大太鼓(さかいのおおだいこ)■

1572 年、上洛を目指す武田信玄が二万五千の兵を率いて、三河に押し寄せました。

信玄は、家康の居城浜松城を無視して西上する気配を見せましたが、
徳川家康は「もはや庭先を踏みつけられて見過ごすは弓矢をとる者の恥だ」
として織田の援軍三千を加えた一万一千の兵で出撃します。

そして、三方ヶ原で武田信玄と激突します。

勇猛で鳴らす三河勢は兵力で劣りながらも互角の戦いを繰り広げますが、
織田の援軍(佐久間信盛・滝川一益・平手汎秀)が崩れ始めると兵力に勝る武田軍が優勢となり、
徳川軍は総崩れとなって、家康は命からがら浜松城に撤退しました。

この時、浜松城を守っていた酒井忠次は、城門も開き、大篝火を焚き、太鼓を打ち続けました。

追撃してきた武田軍はこの異様な光景にいかなる計略があるものかと疑心暗鬼に陥り撤退したのです。

(これが世に言う酒井の大太鼓です)


【芳田のコメント】

徳川家康という江戸幕府を開いた天才的な人物の周りにも、優秀な部下がいました。

どんなに天才でも周囲に助けられて初めて偉業を成し遂げられるものです。

私が最近というか不況になってからかな?感じていることがあります。

それは、何かと最近ビジネス書のベストセラーに「スキルアップ」や「仕事の効率化」
という題名が目立つことです。

どこか「自分自身・自己」に焦点が向きすぎている気がするのです。

物事の考え方が逆ではないかと。

それよりも、「会社に貢献する、社会に貢献する、人の役に立つ」ということを意識して
仕事をしていくうちに、自然と自分自身も成長させることができるのではないでしょうか。

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● 編集後記

昨日は、家から3キロほどある温泉に家族で行ってきました。

疲れたと感じた時によく行くのですが、来ている人が物凄く多かったです。
(皆さん、お疲れですか~?)

源泉は1000メートル地下から湧き上がっていて、なんと300万年も昔の海水らしいのです。

このお湯って一体・・って手ですくいながら、神秘的な気分に浸っていました(^^)

たまには、いいですね。とくに寒い日は、リラックス効果抜群でした。

ここ最近、疲れているな~と感じた時には、温泉にでも行くことをお薦めします。

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2010-02-07

# 週刊歴史ばなし~苦労することの意味

立春を過ぎましたが、東京は寒い日が続いてます。

ちなみに先週、節句の豆まきはされましたか?・・編集後記で。


● 週刊歴史ばなし

戦国武将で佐賀藩の基礎を築いた鍋島直茂は苦労が最も大切だといいました。

 「苦労をしなければ人間は役に立だない。」

 「ツライ思いをした奴ほど役に立つ」

と言っていたそうです。

松は雪に耐え、雨に耐え、風に変えていつも高ぶらずに緑を生やしています。

 「だから松は美しいのだ」

華やかな花はすぐ散ってしまいます。


本当の美しさは苦労の美だと鍋島直茂は言ったのです。


ちなみに、鍋島直茂の正室となり、初代藩主鍋島勝茂を生んだ陽泰院夫人は、

加賀藩祖の前田利家の夫人、土佐藩祖の山内一豊の夫人と並び称されるほどの

賢夫人として知られています。


鍋島直茂が、江戸で徳川家康に拝謁し、佐賀に帰国するべく船に乗り込んだのですが、

ひどい船酔いで、嘔吐を繰り返し、顔は青ざめ見るに忍びない様相を呈していました。


それを恥に思った直茂は「自害する」と言い出し、刀を抜いて腹を切ろうとしました。


側近の藤島生益は、直茂から刀を取り上げ、羽交い絞めにして、自害を思いとどまらせました。


帰国後、直茂は陽泰院にその一部始終を話し「私が今ここにいるのは生益のおかげぞ」と話すと、

陽泰院は生益の前に足を運んで合掌し、涙を流して、

何度も何度も「ありがたや、ありがたや」と言ったそうです。

● 編集後記

先日の3日に、普段通り帰宅すると、“豆”が用意してありました。


節分ということで(全く気にも留めていませんでしたが・・)、

有無を言わさず、鬼の面をかぶせられました。


妻は、普段から私のことを鬼のように思っているかもしれませんが(笑、

このときは、私が鬼の役になって豆を思いっきり投げつけられました(痛

昔からある慣習は、必要あってこそなのかも知れないと思いました。


こんなときにしか、父親に豆をぶつけることは出来ませんからね(笑

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2010-02-07 │ 週刊歴史ばなし │  コメント : 0
2010-01-16

週刊歴史ばなし~第二十三巻 号外 龍馬伝~

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週刊歴史ばなし~第二十四巻 号外 龍馬伝~ 
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【目次】
● 週刊歴史ばなし
● [厳選!お薦めレポート]
● 編集後記
──────────────────────────
● 週刊歴史ばなし

今年から始まった大河ドラマ「龍馬伝」ですが、
幕末の「坂本龍馬」を取り上げたことは、今の時代に
マッチした最高の選択ではないかと個人的に思います。

龍馬役は福山雅治さんですが、あえてガテン系(?)の役者さん
ではなく、どちらかと言えば、線が細いとも言える福山さんを
抜擢しているのは、今の時代の若者をイメージしており、
若者への応援メッセージと受け取れるものがあります。
(製作者さん、そうですよね!?)

そこで、今回は、号外版として、坂本龍馬の
生まれ~船中八策までをまとめてみました。

まず、坂本龍馬の生れ育った環境が、後に関係していますので、
生まれところから、まず始めます。

▼豪商・郷士の生まれ


坂本龍馬は1835年11月15日、高知城下本丁筋1丁目
(現在知市上町1丁目)に生まれました。

幼少時代について、触れておきたいことが二つあります。


1、豪商の息子

龍馬は、高知城下で呉服や酒などを扱う豪商「才谷屋」の次男でし
た。

そのため、龍馬は他の志士たちと違い、常に「経済」の観点から
日本を見ていました。

どんなに理想をいっても、経済のことを忘れた政治は、長つづきし
ません。


2、郷士の息子

江戸時代は士農工商に身分がわかれていました。

才谷屋は一番下の「商」かと思いきや、身分は「士」なのです。

龍馬の先祖が、「士」の身分を買ったのですね。


ところが、土佐の武士には二つの種類があった。

関ヶ原の戦い以前、四国を支配していたのは長宗我部氏。

長宗我部氏は、この戦いで反徳川の西軍につき破れます。

そして、山内氏がかわって土佐の支配者になった。


あらたな支配者・山内氏の家臣は「上士」と呼ばれ、長宗我部氏
の関係者は「郷士」になります。

龍馬は「郷士」の息子だったため、豪商とはいえ「上士」に逆らえ
ない、差別される立場にありました。


それで龍馬は、「経済」「金儲け」を重視する一方、「差別される
人々」「社会的弱者」を大切にする視点を持ち合わせていました。

また、彼は「天子(天皇)以外は皆平等」という思想をもっていた。

これは「士農工商」の時代にあっては、トンデモナイ思想だったの
です。

こういう「万民平等思想」は彼が郷士の子で、差別される立場に
あったことと関係があるのでしょう。


▼黒船来航


幼少のころは泣き虫だった龍馬。

しかし、14歳のときから剣道をはじめ、徐々にたくましくなって
いきます。

腕前は、メキメキ上達。

1853年3月、江戸へ剣術修行に行くことを許されました。

その3カ月後の1853年6月、ペリーの黒船艦隊が浦賀に来航し、
日本は大騒ぎになります。

当時19歳の龍馬は、江戸品川海岸の警備に動員されました。


翌1854年3月、ペリーが再び来航。

圧倒的武力を恐れた幕府は、「日米和親条約」締結に同意。

200年以上つづいた鎖国体制は崩壊にむかいます。

龍馬は、この歴史的事件のときも、江戸にいました。

いまだ体制は強固に見えましたが、異国にあっさり屈した幕府への
不満は高まることになります。


この時点で龍馬が何を考えていたかはわかりません。

しかし、「なにか大変なことが起こりそうだぞ」ぐらいの予感は
あったでしょう。

日本は混迷の時代に突入していきます。


▼土佐勤皇党の結成と脱藩


1860年、日本全国を仰天させる事件が起こります。

尊王攘夷派を弾圧した井伊大老が、水戸の浪士に暗殺された。
(桜田門外の変)

この事件は、日本全国の武士たちに、大きな衝撃を与えました。


「一浪士が、幕府の大老を暗殺???」


土佐の郷士は、「おれたちにも何か大きなことができるのではない
か?」と夢を描くようになりました。

翌1861年、龍馬の親友・武市半平太を党首とする「土佐勤皇党」が
結成されます。

27歳の龍馬も参加しました。

目的は、土佐を「勤皇藩」(=反幕府藩)にしてしまうこと。

しかし、龍馬には半平太の策がどうも「非現実的」に思えてしまうの
でした。

理由は、いろいろありましたが、たとえば


・土佐勤皇党のメンバーはほとんど「郷士」である。藩を牛耳っている
「上士」が、軽蔑している「郷士」のいうことをきくだろうか?

・藩主の山内氏は、徳川から土佐を与えられた。その山内氏が幕府に
反対するようなことをするだろうか?


1862年、土佐勤皇党結成の翌年、龍馬は土佐藩に見切りをつけ
脱藩します。

脱藩というのは当時「重罪」。

心の中には、「もう2度と戻れないかもしれない」という思いが渦巻い
ていたことでしょう。

龍馬28歳。


▼勝海舟と神戸海軍塾


脱藩後、龍馬は昔お世話になった江戸・千葉道場に居候することに
します。

1862年秋、龍馬の人生を大転換させる出来事が起こりました。

幕府の大物・勝海舟と知り合ったのです。

勝海舟は1860年、ジョン万次郎や福沢諭吉などと共に、咸臨丸で
アメリカを視察しています。

そして、幕府の中枢にいたことから、世界情勢にも精通していました。

勝は、アジアの国々が次々と欧米列強の植民地となっている状況を
龍馬に話します。

そして、欧米列強に対抗するためには、開国し、貿易により富を蓄積
すること。

その上で、どんどん黒船を購入(あるいは生産)し、欧米に対抗でき
る海軍をつくることが必要だと説きます。


この話は、現実主義者の龍馬の心に強く響きました。

彼は常々、「日本刀で黒船は倒せんぜよ」と思っていた。

しかし、どうすればいいかわからない。

勝海舟は、日本が進むべき道を、明確に示してくれた。

龍馬は迷うことなく、勝の弟子になります。

そして、土佐脱藩組を勧誘し、どんどん勝の弟子にしました。


この行為は当時、半平太を中心とする「尊王攘夷派」から理解され
ませんでした。

勝海舟はなんといっても、「敵」幕府の大物。

「なんで龍馬は幕府の大物の弟子になってるんだ!?」

と非難された。

しかし、「海軍をつくることが日本を守ること」という彼の信念は
揺るぎませんでした。


1863年10月、勝は「神戸海軍塾」を設立。

龍馬は「塾頭」に就任します。

それで、彼は「日本海軍の祖」と呼ばれることがある。

土佐の脱藩浪人を塾頭にしてしまう勝海舟。

いかにこだわりのない人物だったかがわかるでしょう。


勝海舟と知り合った龍馬は、飛躍する大きなきっかけを得ました。


・世界情勢を正確に知ることができた

・日本の行くべき道を見つけることができた

・超ハイレベルの人脈ができた


▼海援隊と薩長同盟


ようやく夢への一歩を踏み出した龍馬。

しかし、大きな挫折が待っていました。

神戸海軍塾が、設立からわずか2年で閉鎖されてしまうのです。

閉鎖のきっかけとなったのが、1864年の「禁門の変」。

これは、長州の尊王攘夷派と、幕府・会津・薩摩などが京都で
戦った事件です。

長州側、つまり反幕府側に、神戸海軍塾の塾生が多く参加して
いました。

当然幕府は、「勝海舟の塾は、幕府の金で倒幕兵を養っている」
と批判します。

勝海舟は塾の責任者を解任され、塾も閉鎖。(1865年3月)


しかし、「捨てる神いれば、拾う神あり」です。

龍馬は、勝の紹介で、薩摩の大物・西郷隆盛と知り合いになって
いました。

龍馬は、西郷を説得し、主に薩摩藩の出資で、日本初の株式会社
といわれる亀山社中(後の海援隊)を設立します。

さらに、土佐脱藩・中岡慎太郎と共に、薩摩藩と長州藩を同盟さ
せるべく奔走しました。

1866年1月、龍馬と慎太郎などの努力が実り、薩長同盟成立。

時代は倒幕にむけて大きく前進します。

同年6月、幕府 対 長州 の戦争に参加。

龍馬と社中は、当然長州側の倒幕軍で戦っています。

この戦争で長州が勝利。

幕府の権威は完全に失墜してしまいました。


▼大政奉還


さて、長州が戦争に勝利した後、薩摩と長州の力はますます強まっ
ていきました。

倒幕までの道筋も見えてきた。

しかし、この時期龍馬には不安があったのです。



(もし幕府と倒幕軍の全面戦争になれば、日本の国力は疲弊し、
イギリスかフランスの植民地になるのではないか?)



龍馬は、「なんとかして全面戦争を回避する方法はないだろうか?」
と考えていました。

1867年、龍馬は土佐藩上士・後藤象二郎に「大政奉還案」を進言
します。

大政奉還とは要するに、将軍が国の統治権を天皇に返すこと。

1867年10月14日、大政奉還実現。

つまり、徳川将軍みずから幕府をつぶしてしまったわけです。

薩摩と長州は、倒すべき相手がいなくなってしまった。

龍馬らの努力により、日本は全面戦争を回避。

日本が植民地化をまぬがれた大きな理由の一つが、この「大政奉還」
であったことは間違いありません。


▼船中八策


龍馬が革命家として傑出していたのは、「倒幕後の政体」について
明確な方針をもっていたことです。

1867年6月に記された「船中八策」がそれです。

何が書いてあるのでしょうか?


一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事

(意味=大政奉還します)


二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シ
ク公議ニ決スベキ事

(意味=議会政治を行います)


三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シ
ク従来有名無実ノ、官ヲ除クベキ事

(意味=身分にかかわらず、実力主義にします)


四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事

(意味=外国との交流を進めます。不平等条約を改定します)


五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事

(意味=新しい憲法を制定します)


六策 海軍宜シク拡張スベキ事

(意味=海軍力を増強します)


七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事

(意味=御親兵を設置します)


八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事

(意味=金銀の交換レートを変更します)


それまで260年間江戸幕府の独裁であったことを考えると、
船中八策がどれだけ斬新だったかわかるでしょう。

この八策は、明治新政府に引き継がれ、日本が近代国家・世界の
大国になる道が開かれました。

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【発行者】芳田喜生

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2010-01-09

週刊歴史ばなし~願い事は紙に書く~

元旦から一週間経ちましたが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

正月休みに飲みすぎ、食べすぎのため年明けにダウンしていました。

かなり反省をしつつ、今年の目標を立てたのですが、
皆さんも今年の目標を立てられましたか?
今回は、その目標や願いに関するエピソードです。

──────────────────────────
【目次】
● 週刊歴史ばなし
● [厳選!お薦めレポート]
● 編集後記
──────────────────────────
● 週刊歴史ばなし
豊臣秀吉の話です。
秀吉は北条氏を計つとき、
海が荒れていて船が出ませんでした。
秀吉は船頭に「紙と筆をくれいと言い、海神様、
北条氏を計つため海を鎮めてください」と書き、
海の中に投げました。

船頭は、そんなことをしても無駄だと笑いました。
しかし、またたく間に海が鎮まったようです。

少しオカルトチックな話ですが、
願いや目標を紙に書くという行為は、
目標達成に重要な意味を持っています。

あえて人に話すことも、退路を断つ意味で良いそうです。

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プラス思考の本質は、「(潜在意識レベルで)現在の自分を肯定すること」です。
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● 編集後記

以前から本メルマガを購読頂いている方は、気付かれたと
思いますが、今年からは、歴史の話を少し簡略して、
ビジネスや生活に役立つ情報も、無料レポートの紹介という
形で、ご紹介していく予定です。

ぜひ楽しみにしてください。

新年会がまだ残っていますが、くれぐれも飲みすぎ、食べ過ぎに
注意してくださいね。(私自身の反省を踏まえつつ・・)

今年も(こそは?)皆様にとって良い年になりますように!

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【発行者】芳田 喜生

【歴史について~古代から現代まで~】
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2009-11-03

不動の精神とは?桐野利秋から学ぶこと

 桐野利秋は、明治新政府では陸軍少将を務めていたものの、西郷隆盛が征韓論に敗れて鹿児島に下野するとともに自身も西郷に随い、帰郷しました。

 その後、西南戦争が起きると総司令として最後まで戦い、戦死した人物です。

 歴史上の人物で、私が“伊達男”としてまず思い浮かべるのが「伊達政宗」「前田慶次」、そして「桐野利秋」です。

 ちなみに、勝海舟が「(西郷の)部下にも、“桐野”とか村田とかいうのは、なかなか俊才であった」と言ったことが「「氷川清話 (講談社学術文庫)」」にもあります。

 今日は、その桐野利秋の少年時代のエピソードの一つをご紹介します!

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【不動の精神とは?桐野利秋から学ぶこと】


 桐野は少年時代、極貧だったようで、道場にも通えなかったために一人稽古で、示現流(剣道の流派)を学び、後年に多少の余裕ができて小さい道場に入門しました。

 彼自身、後年には伊達男と称される程であり、おそらく少年時代も自信満々で、威勢がよかったことと容易に想像できます。

 道場に通っているうちに、彼を見て生意気と感じる身分の高い年長者がいたようです。

 桐野は、薩摩で郷士と呼ばれる身分の低い武士でした。

 桐野が颯爽と道場に向かって闊歩していると、その数人がいきなり襲いかかって、彼を川に投げ落としました。

 彼はずぶ濡れになりましたが、川から這い上がり、依然として肩をそびやかし道場に向かって歩いていきます。

 翌日、川に突き落とした連中が橋上に待ち構えており、桐野がどんな態度で来るか楽しみにしています。そのうち現れましたが、昨日のことを全く気にも留めていないようで、「やあ、よか天気でごわすな」と朗らかに挨拶をしながら颯爽と通り過ぎようとします。

 その態度に苛立った連中は襲いかかって、彼を川に投げ込んでしまいます。

 翌日もその次の日も・・。これが、およそ56日も続いたそうです。

 そのうち桐野の態度に怖くなったのか感心したのか、これまで襲いかかっていた連中が「なぜ、あんなに川に投げ込まれても、おぬしは平気なんや?」と聞きます。

 それに対して、桐野はこう答えたそうです。
「世界の列強が開国を迫って来ていて、日本が日本じゃなくなり世界のものになるかも知れんというときに、薩摩の家中の者が些細なことで喧嘩するのはつまらんことです。日本の人間が一致団結せんと、そのうち世界に負けてしまいますわ」

 それを聞いた者たちはこれまでの無礼を謝り、桐野に従うようになったそうです。

【芳田が思ったこと】

 私自身、このエピソードを知ったとき、桐野という人物の底知れぬ度量の大きさと、リーダーたる者がとるべき態度がどうあるべきかを考えてしまいました。

「最終の目標としているものを踏まえて、現状に対処すべきではないか。目の前の些細なことは、最終の目標を踏まえた上で、どう行動するかを考えればいいのではないかと」

 彼自身、根性のある人物ですから些細な喧嘩を売られても“勝つ”ことはできたはずです。

 しかし、日本に開国(あわよくば植民地化)を迫ってきている列強に対して絶対に、負けさせないという目標があったから、上記のような喧嘩は無視できたのだと思います。

 目標としていることに対して、今起こっている問題はどうなのかと判断しつつ、行動することが重要ではないかと思いましたが、皆さんの感想はいかがでしょうか?

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2009-09-14

桐野利秋に学ぶ過ちへの対処法

 先日、西郷隆盛の辞世の句と思しきものが、官軍(敵)に従事した
医師の孫の家から見つかったようです。

 果たして、本人のものどうかはこれから調べられるのでしょうが、
武士の最後の戦争としてのロマンを感じさせます。
時事通信ニュース⇒西郷隆盛、辞世の句か=維新半ば、悔しさ歌う

 今回は西南戦争で、西郷隆盛と生死を共にした桐野利秋についての
話題をお送りします。

 "人斬り半次郎”としても知られる人物です。

*****************************
桐野利秋に学ぶ過ちへの対処法
*****************************

 “人斬り半次郎”の名で知られる桐野利秋は、天性の雄弁家であったようですが、
少年時代に貧困のために学問が出来ず、ときどき滑稽な間違いをしていました。

 維新志士として暴れて回っていた頃、他藩の者と論じていているときに「尊藩」と
「弊藩」の区別が分からず、自藩のことを「尊藩」といい、相手の藩のことを「御弊藩」
といい、禁闕(きんけつ)(天皇の住居)のことを「きんかん」と発音していました。

 後で、仲間が注意すると、桐野は「ホウ」と驚き「そうか。すっと“尊藩”ちゅうのは、
あなたなの藩ちゅうことで、“弊藩”ちゅうのは拙者の藩ちゅうことでごわすか。

 また“きんかん”じゃなくて“きんけつ”でごわすか。途方もなか間違いでごわすなぁ。
しかし、天子様のお住居を“きん”と“けつ”ちゅうのは、おもしろか名前じゃなぁ。

 どちらも急所じゃし、天子様は日本で一番大事な方じゃしから、そん居なさる場所は、
そげん言い方ばすっとかも知れもはんなぁ。ハッハッハ。

 道理であん男は妙な顔しっとったわい(薩摩弁に意訳)」と大笑いして、少しも
悪びれるところがなかったそうです。

**********
編集後記
**********

 自分の誤りに対して笑いをもって看破し、少しも悪びれることがなかったことに
個人的に惹かれてしまいます。普通は恥ずかしくて、恐縮してしまい反省じみた態度を
とってしまうのが常だと思うからです。

 今から400年ほど前に人生訓について中国で書かれた『菜根譚』の中に「過去の過ちを
根にもたない」という行があります。

 他人の過ちはもちろんのこと、自分自身の過ちに対しても根に持たずにいたほうが、
人に対しても寛大になれるのではないでしょうか。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2009-09-14

小早川隆景の判断力

 毛利元就の三男、「三本の矢」の一人として知られる小早川隆景のお話です。

***********************
小早川隆景の判断力~
***********************
 豊臣秀吉からは「自分以外で天下を治める者がいるとすれば、黒田如水か小早川の隆景よ」と評された智将でもあります。

 自らを「長く思案して、遅く決断する」と言っており、即断即決を必ずしも良しとしなかった逸話が残されています。

 部下に対しても「急ぐことはゆっくり話せ」「急ぐことはゆっくり書け」と言っており、「人の意見を聞いてすぐに『ごもっともです』『その通りです』という人間が本当にわかったためしがない。本当に人の意見を聞く者は、自分で納得いかないことは、何度でもダメ押しをする。わからないことがあっても『こんなことを聞いては相手が気を悪くするのではないか』などと考えるのは、本気でその意見を聞いていない証拠だ。

 俺の言ったことをすぐわかりましたなどと請合う部下は信用しない」ということを話していたそうです。

 また、黒田如水とは仲が良かったらしく、如水に対して「貴殿はあまりに頭がよく、物事を即断即決してしまうから、後悔することも多いだろう。私は貴殿ほどの切れ者ではないから、十分に時間をかけた上で判断するので、後悔することが少ない」と指摘しました。

 後に隆景の訃報に接した際「これで日本に賢人はいなくなった」と悲しんだそうです。

**********
編集後記
**********
 上司からの指示に「上が言ったから」と考えることを放棄することは、何かあっても上司が責任をとってくれると考えるような責任転嫁型の人間だと小早川隆景は考えていたのかも知れません。

 私自身も、今までに数十回いや数百回?と上司の指示に即答しつつ「何かあったら上司の責任」と思ったこがありますので(恥)、小早川隆景みたいな上司だったら、すぐに見透かされてしまいそうです。

 「指示に対して一旦よく自分で考えて納得し、行動する」ことを実践したいものです。



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テーマ : 戦国時代
ジャンル : 学問・文化・芸術

2009-06-23

東郷平八郎~冷静沈着なリーダー~

 先週は、京都に出張していましたが、殆どの方がマスクを着用されていないことが、少し意外でした。インフルエンザの流行というより、人間の中でマスクをしないことが流行になっているようでした。

 また最近は、新幹線の中でも無線LANが使えるので、ネットに繋いで会社のメールを読んだり、ネットサーフィンが出来たりと便利ですね。

 ちなみに私は、以下のサイトから購入した「ACER」のネットブックを使用しています。
【アイオー・データ直販サイト】

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東郷平八郎~冷静沈着なリーダー~
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 日露戦争時に連合艦隊を率いて当時屈指の戦力を誇ったロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は常に冷静沈着な人であったそうです。

 バルチック艦隊との海戦を前にして、機雷により戦艦2隻を失ったとき、参謀の島村速雄や秋山真之が「これで勝てるのか」と心配し、艦長たちも意気消沈しているときに、東郷は部下を集めて「みなご苦労だった」と菓子をすすめたというエピソードがあります。

 その姿を見た秋山は「この難局の中にして俺はこの人のようにできるのだろうか」と驚いたそうです。

 また、どこでロシア艦隊を待ち受けるべきか意見が割れたとき、島村は「敵に海戦がわかる提督が一人でもいれば彼らは必ず対馬を通る」と断じました。

 それを受けて、東郷は静かに一言いいました。

「では、ここで待つことにしよう」(「ここ」とは、対馬を臨む鎮海湾を指します)

 難局に際した東郷の態度は、それだけで周囲を安心させるものだったと思います。

**********
編集後記
**********

 東郷平八郎のエピソードで、私が最も感心する一場面があります。

 東郷平八郎は、戦闘の間は常に旗艦・三笠の艦橋に立って指揮を執り、勝利を収めた後に、濡れた甲板の中で東郷が立っていた場所に靴跡が残っていたそうです。

【参考本】

坂の上の雲〈1〉(文春文庫) 司馬 遼太郎

日露戦争物語—天気晴朗ナレドモ浪高シ(第1巻) 江川 達也

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

2009-06-14

孫権の覚悟~「三国志」から

 孫権は『三国志』の中心人物の一人で、呉の初代皇帝です。

 映画「レッドクリフ」のテーマでもある有名な「赤壁の戦い」において、曹操の魏軍に奇跡的な勝利を収めました。

 魏軍は20万という大軍で、戦勝を重ねて破竹の勢いでした。
 これに対する呉軍はわずか3万・・。

 どう考えても勝ち目はありません。いったんは降伏し、後日に期してはどうかと進言する家臣も多かったようです。

 しかし、孫権は会議の席上、いきなり剣を抜き、目の前の机を一刀両断し、以下の言葉を放ったと伝えられています。

「私に曹操への降伏を進める者があれば、この机と同じ運命になると思え!!」

 こうして呉軍は一丸となり、赤壁の大勝利を収めることとなります。

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編集後記
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 トップがこれほど強い決意を示せば、部下は覚悟を決めて従う他ないですね。

「やるかやらないか」と議論をしているうちは、怯えて「できない理由」ばかりを探していたことと思います。

「やる」と決めた以上は「どうすればできるか」という策を探す他の選択肢がなくなり、知恵を出し合って難局を乗り切ることができたのでしょう。

 私の職場でも以前、これほど極端ではありませんが、私の所属しているグループに、現場の実務を知らない経営トップからかなり無茶なノルマを課せられたことがあり、できない理由を探すことさえ許されないことがありました。

 その結果、グループ内で知恵を出し合い、当初は無理と考えられたノルマを達成することができました。

「できない理由」を探すより「できるにはどうするか」を考えたほうが遥かに効率的な考え方だと感じさせられる出来事でした。

漫画・コミック全巻読むなら【全巻読破.com】
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 私は、赤壁の戦いの部分が特に好きでした。




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2009-05-09

勝海舟の卓越な先見性

 勝海舟といえば、明治に改元される前の1868年に薩摩藩邸で西郷隆盛と
膝を付き合わせた江戸城開城談判に関してのエピソードで思い浮かべる方が
多いかと思います。
(山岡鉄舟が薩摩藩側と既に話を纏めていたとも言われていますが)

 その海舟は、晩年に問われるままに語ったものを集めた「氷川清話」にそのときの
様子や時事・人物について語っており、大変興味深い読み物になっています。

 海舟は「なに相手が西郷だから、むちゃなことをする気遣いはない」と思って会談に
臨み「ただ幕臣が飢えるのも気の毒だから、それだけは頼むぜ」といい、これに対して
西郷は「いろいろ難しい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」。

 西郷のこの一言で江戸の人々の生命・財産を守ることが出来たと記しています。

 後に大久保利通と相談して、江戸への遷都を約束させており、海舟の卓越な
先見性が随所に見られます。


*********
編集後記
*********

 「氷川清話」には、お爺さんの昔話のような口調(べらんめい調?)で幕末のことが
書かれており、タイムスリップしたような新鮮な感じを受けます。

 例えば、坂本龍馬については、一文だけ書かれています。
「彼は、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、
落ち着いてな、なんとなく冒しがたい威厳があって、よい男だったよ」


 また、今にも十分通じると思うものもありますので、以下に紹介します。

「日本のただいま不景気なのも、別に怪しむことはないのだ。
とにかく、経済のことは経済学者にはわからない。それは理屈一方から見るゆえだ。
世の中はそう理屈どおりにいくものではない」

「ほんとうに空論というものは、国が貧乏すればするほど、盛んになるものだよ。
今日、世間でがやがやいっているのも、その起こりを尋ねれば、
ひっきょう財政困難ということに過ぎないのだ


「行政改革ということは、よく気をつけないと弱いものいじめになるよ」

政治家の秘訣は、何もない。ただただ『誠心誠意』の四文字ばかりだ

~最後に我々社会人へのメッセージ~

「世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根が尽きて疲れてしまうから」
「成功するまで働き続け」

 どうでしょうか?まさにいま生きている人からのメッセージにも受け取られ、
とても明治30年頃の言葉とは信じられない気がしますよね!?

氷川清話 (講談社学術文庫)
⇒幕末時代が好きな方にはお薦めの本です!

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2009-05-08

坂本龍馬の最強の武器

あるとき龍馬の旧友が龍馬と再会したとき、龍馬は短刀だけを差していました。
長刀を差すことが当たり前だったことから、そのことを指摘したところ
「実戦では短刀のほうが取り回しがよい」と言われ、納得した旧友は真似て短刀を
差すようにしました。

 次に再会したとき、旧友が勇んで短刀を見せたところ龍馬は懐からピストルを
取り出して一発撃って見せて、度肝を抜かれていると「これは西洋の武器じゃ。
銃の前には刀なんて役に立たん」と言われました。

 納得した旧友はさっそくピストルを買い求めました。

 三度目に再会したとき、旧友が購入したピストルを見せたところ龍馬は着物の
懐から万国公法(国際法)の洋書を取り出し「これからは武力だけじゃ駄目じゃきに。
学問が必要じゃ。世界を知らんとあかん」といわれ、
もはや旧友はついていけなかった。

*********
編集後記
*********

 自らも北辰一刀流の使い手でありながら、龍馬は刀を見切り、当時は個人が持つ
武器の世界最先端のピストルすら頼りにせず、最後は「知識」という武器を
得ようとしました。

 最強の武器は「今」の武力ではなく常に「先」を読むための鋭い洞察力で
あったと思います。
 
 もつべき本当の武器は「先を読む力」であると教えてくれます。


幕末京都―新選組と龍馬たち (SUIKO BOOKS)
⇒写真が豊富で、幕末時代の京都に詳しいです。


京都時代MAP 幕末・維新編
⇒京都の地図を幕末時代と現代で透かして見ることが出来て面白いです。

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2009-05-06

秀吉の毛利攻めでの和睦

 1582年に羽柴秀吉は備中高松城(岡山市)を水攻めにしました。
 
 城主の清水宗治を救援するために駆け付けた毛利勢の小早川隆景や吉川元春も
救出の手立てがなく、秀吉との膠着状態が続いていました。

 ここに本能寺の変が起き、信長の死を知った秀吉は、その死を隠し、宗治の切腹を
条件に和睦を成立させ、明智光秀を討つために、軍を引き返し京都に向かいました。

 秀吉の撤退後、信長切腹の知らせが飛び込んできたときに毛利勢は
まだ高松城下にいました。
 
 家臣たちは「秀吉は逃げたに違いない。まだ遠くないところにいるから、追い討ちに
して秀吉を仕留め、そのまま京都を攻めれば、天下に旗を揚げられます」と訴えました。

 これに対して、小早川隆景は次のように答えました。

「いったん和睦しようと盟約したのに、血墨の乾かぬうちに、敵の災いに乗じて約束を
破ることは、大将たる者の恥であって、すべきことではない」

 この後に秀吉から酒樽が届き、和睦がされた感謝の意が伝えられました。

 隆景は生前に毛利氏が豊臣政権下で安泰でいられるのは、高松城下で交わした盟約を
守って追撃しなかったことを秀吉が感謝しているからだと、自慢話として吉川元春の
嫡子の広家に語っていたそうです。

*********
編集後記
*********

 何事にも勝負は正々堂々とするのが互いに禍根を残さず潔いものだと思います。
 
 たとえ、結果的に負けたとしても(自分自身との戦いでもある受験勉強もそうです
が)、精一杯やった後は、後悔が残ることはないのではないでしょうか。

 ここ一番のときは“精一杯”ということが何よりも大事なのだと思います。


新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)

新史太閤記 (下巻) (新潮文庫)

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2009-04-18

上杉謙信の家訓

山形県米沢市の米沢城内の上杉神社に、上杉謙信の家訓碑があるとされます。

以下の簡潔な16カ条からなります(分かりやすく現代語にしました)。

心に気にかかる物のない時は、心広く体もやすらかである
心にわがままのないなき時は、相手への敬愛を失わない
心に欲がない時は、義理を行う
心に私がない時は、疑うことをしない
心に驕りがない時は、人を尊う
心に誤りがない時は、人を畏れない
心に邪見がない時は、人は育てる
心に貪(むさぼ)りがない時は、人にへつらふことがない
心に怒りのない時は、言葉が和らかである
心に堪忍がある時は、物事を調えられる
心に曇りがない時は、心は静かである
心に勇がある時は、悔やむことがない
心が賤しくない時は、無理な願いをしない
心に親への孝行心がある時は、主への忠節も厚い
心に自慢のない時は、人の善を知る
心に迷いのない時は、人を咎めない

⇒一つ一つ意味を考えられて読まれることをお勧めします。

*********
編集後記
*********

謙信は、7歳のときに父の長尾為景の死に遭遇し、お寺に預けられました。

本来なら僧として人生を全うしたはずですが、世は戦国時代で武将に引きずられました。

ただし、寺で学んだ精神は武将となっても消えず、家訓にあるような清潔な倫理観を
もっていたようです。

家訓というよりは心の状態を述べたような文章であり、このような心をもってして
信頼に足る武将として周囲の大名から畏怖されていたのだと思います。
 
謙信が遺した家訓は、現代にも通用する高潔な倫理感だと感じます。
NHK大河ドラマ天地人完全ガイドブック―2009年NHK大河ドラマ (TOKYO NEWS MOOK)

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2009-04-18

自ら出る杭となった秀吉

豊臣秀吉は、よく言われているように農民の生まれから出て(諸説ありますが
いずれにしても所謂高貴ではありません)、天下統一を成し遂げた人物です。

織田家の譜代から務めていた重臣とは違い、信長に仕えてからは馬飼いという最下層
の身分から出発した訳ですから想像もつかない程の努力をしたのでしょう。
その秀吉ですが、自ら「出る杭」となり、周りの家臣や主人の信長に注目されるよう
に行動した逸話が残されています。

ある時、秀吉は信長に、
「この清洲城は、水が乏しいです。小牧山は要害がよく、また便利な土地ですので
ここに移られるのがよろしいと存じます」と言いました。

信長は内心これに気づいていましたが、費用を思って控えていたので、立腹を装い
「猿めが何を知るか!猿の考えで、家中の者の迷惑も考えず
俺に差し出がましいことを言う。縛り首にしてくれるぞ!」
とさんざんに叱りつけました(後に信長は、小牧山に移転します)。

こんな調子で、秀吉は、機会あるごとに出しゃばってはよく叱られていましたので
人々は皆、
「あれほど面の皮の厚いやつは見たことも聞いたこともない」
と嘲笑しましたが、秀吉は一向に構わず、出しゃばり続けたとのことです。

秀吉は「大飯早食い、憂い事無用」を信条に何事にもしゃしゃり出て仲間の
ひんしゅくを買っていたようです。

そんな秀吉を皮肉って、ある仲間が
「人は皆さし出でぬこそよかりけれ いくさの時は先駆けをして」
と詠んだところ、秀吉は即座に
「人は皆さし出“づる”こそよかりけれ いくさの時“も”先駆けをして」
と返答し、相手をギャフンといわせたとの逸話が残っています。

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編集後記
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上司や先輩からの指示の仕事や、チームの一員としての仕事をきちんとこなすことも
勿論大事なことですが、自ら提案をしたり、チーム全体を考えた仕事をすることは
長期的に視ると自分自身にとっても組織全体にも必ずプラスになるものだと思います。



 私のおすすめ:
新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)

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2009-04-06

徳川家康が麦飯を食べた理由は?

徳川家康の30歳前の若いころの話です。毎年夏になると家康は麦飯を食べていました。
小姓がひそかに、お椀に白米を入れて、表面だけを麦飯を覆って出しました。

これに対して家康は「私の心がわからないやつ」だと嘆き
「私はケチだから麦飯を食べるのではない。いまは戦国のときであり、兵士は心を
休める暇もなく、衣食も不自由なのに、どうして私だけが贅沢できよう。しかも
日頃倹約して、これを軍用費に回すためである」と言ったと伝えられています。

家康の質素倹約は徹底していたようで、金の扇を献上されときも、不快な顔をして
「重宝の金をこのような飾りにするのはもってのほか」と怒り、すぐに見えないような
場所にしまうように命じたとのことです。

天下を手中におさめてからも、手洗いから出て懐紙で手を拭こうとしたら、懐紙が風に
飛ばされたので庭まで追っていって取り返し、それを見て笑う家来に対して、
「わしはこれで天下を取ったのだ」と言い返したとのことです。

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編集後記
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家康は莫大な財を次代に残しており、それが後の徳川時代の繁栄に一役買っていると
すれば、質素倹約がいかに大事かがわかります。

お金があるから消費するのではなく、まずは貯金して余った分を使うという行動は、
お金が貯まる人の特徴のようです(私がいちばん見習わないと・・・)。



 私のおすすめ:
関が原 司馬遼太郎作 TBS開局30周年記念番組

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2009-04-03

黒田如水の倹約のわけ

最近、論理パズルというものにはまっています。
シンプルなクイズ形式ですが、それが意外に難しいんです。

『千佳、典子、あさみの3人がいます。このうち、真実を述べるのは一人だけです。
千佳「典子はウソつきです」
この発言から何がわかる?』

この問題の答えがわかりますか?
すぐに分かった人は素晴らしい論理思考を持っている方だと思います。

答えは、下の書籍にありますので、ご興味のある方にはお薦めです。

論理パズル「出しっこ問題」傑作選―論理思考のトレーニング (ブルーバックス) 
価格:¥ 788(定価:¥ 788)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062573687/ref=nosim/?tag=korousao-22

史上最強の論理パズル―ポイントを見抜く力を養う60問 (ブルーバックス)小野田 博一
価格:¥ 788(定価:¥ 788)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062574233/ref=nosim/?tag=korousao-22

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黒田如水の倹約のわけ
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黒田 如水(じょすい)は戦国時代、安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名で、
通称「黒田 官兵衛」として有名です。豊臣秀吉の側近として仕え、本能寺の変では、
信長の死を知った如水は秀吉に対して、毛利輝元と和睦し、光秀を討つように献策し、
中国大返しを成功させたと言われています。

また、如水は、倹約家としても知られ、不要になった物は家臣に売り下げる、城には天守閣を
築かず矢倉で代用するなどで蓄財に励み、一方で関ヶ原の戦いで兵を集めた時は金を惜しまず、
支度金を二度受け取ろうとする者に対しても何も言わずに与えたとの逸話が残っています。

豊臣秀吉による朝鮮出陣が始まったとき、ある武将が出陣費用を如水に借りに行ったところ、
如水は快く貸してくれました。

その後、金ができたので、御礼に鯛を持って如水に返しに行きました。

如水は家来を呼んで、

「お土産に頂いた鯛を三枚におろし、頭と骨で吸い物を造り、
肉は刺身にして、お客さんにあげて、私にもくれ」

と細かく指示をするので、武将は、如水が本当にケチなのを軽蔑し、一刻も早くお金を
返さなければいけないと思い、お金を取り出して前に並べ、御礼を述べて差し出すと、
如水は受け取ろうとせず、

「あのお金は差し上げたつもりでした。私が普段倹約するのも、
こういう時に人々の役に立ちたいと思うからです」

といったので、その武将は恥じて、また感心したとのことです。

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編集後記
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今の世界金融情勢は、百年に一度の危機と言われています。以前と変わらない給料を
貰っている人でも、この危機のなか節約をされている方が多いと思います。
私自身は、節約の意識がこれまで全くと言ってなかったのですが、このような状況になって
初めて節約することの大事さを感じています。

こんな時になって初めて分かったのですから、逆手に取ればお金について考えさせられた
いい機会だと考えています。

景気がいい時や、給料が貰えるときでも決して無駄に遣うことなく、黒田如水のように
普段から節約を心がけ、いざというときに備えることが本当に大切だと身にしみています。

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お勧め書籍
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最初に書いた論理パズルについては、下の本で紹介されていたものです。
ロジカルシンキングの他にラテラルシンキング(水平思考)という言葉も初めて知りました。



 私のおすすめ:
勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考...

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