歴史から学び、現在を楽しむ

~歴史とは、現在と過去との対話である by E・H・カー~



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2010-03-12

信長の命令で廃城された筒井城跡から堀の遺構!

 織田信長に仕えた戦国大名、筒井順慶の居城だった筒井城跡で、
16世紀後半に埋め戻されたとみられる堀の遺構が見つかったそうです。


 城の取り壊しを命じた信長の「破城令」で天正8(1580)年に
埋められたとする当時の文献の記述を裏付けており、
市教委は「信長の破城政策を知る上で貴重な発見」としています。

~以下、記事引用=
 堀の跡は、城主の館とみられる場所付近で確認。

 深さ約2・5メートル、幅約6メートルで、断面がV字形の「薬研堀」だった。

 当時の神事で用いられた「かわらけ」と呼ばれる素焼きの小皿など、100点以上の土器も一緒に出土。

 市教委は、筒井城を廃絶する際の祭祀(さいし)で用いられ、堀とともに埋められた可能性が高いとみている。

 筒井城は室町~戦国時代の大和国の重要拠点。

 興福寺(奈良市)の僧侶で順慶とも親交があった多聞院英俊による「多聞院日記」の記述によると、
信長は天正8年に郡山城を除く大和地方の城を廃絶するよう順慶に命じ、筒井城もこれに伴って廃絶された。

 日記には、同寺周辺の住民が動員されたと記されている。

 現地説明会は14日午前10時から行われる。

 NPO法人「城郭遺産による街づくり協議会」の中井均理事長の話

「破城は江戸幕府による一国一城令まで全国で実施されたが、信長の破城については詳細が不明。
多聞院日記と付合したことで、実態を知る重要な手がかりになる」
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2010-03-12 │ 歴史ニュース │  コメント : 0
2010-01-05

井伊直弼の墓、埋葬状況解明へレーダー探査

歴史を現代科学で解明しようとする試みですね。

ちなみに、井伊直弼の居城がある彦根城のひこちゃんにも年賀状が大量に届いたそうです(^ ^;


■東京・世田谷の豪徳寺にある幕末の大老・井伊直弼(なおすけ)(1815~60年)の墓について、
世田谷区教育委員会は、墓を改修するのに伴い、地中レーダー探査を今週、行うことを決めた。

 桜田門外の変で暗殺された直弼の埋葬状況の解明につながるものと期待される。

 豪徳寺には、直弼をはじめ、井伊家が代々治めた彦根藩の藩主6人のほか、正室・側室、家臣らを含め、300基以上の墓がある。

 改修にあたり、区教委が先月までに、現状を確認するため、地下約2メートル下まで発掘したが、直弼を葬った棺おけは見つからず、レーダー探査によって、棺おけの位置を特定することにした。

 直弼は、尊王攘夷(じょうい)派の志士たちを厳しく取り締まる安政の大獄(1858~59年)を実行し、
憤激した水戸浪士たちに、江戸城桜田門外で暗殺され、首を切り落とされた。

 だが、大老という要職が暗殺されたことによる幕府権力の動揺を恐れ、幕府当局は、直弼の死を約2か月間、公表しなかった。

 そのため、死後の直弼の埋葬状況については確定的な情報が少なく、水戸浪士が首を持ち去ったとの説も流れている。

>滋賀県彦根の人気ゆるキャラ<


引用元:yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100105-00000015-yom-soci

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2009-11-11

「九州説は無理…」新井白石以来の邪馬台国論争ゴール近し?

最近、近畿を中心とする遺跡での発掘が相次いでいますが、邪馬台国がどこにあるのか(畿内説、九州説)が近日に明らかになるかもしれませんね。


■邪馬台国機内説の“本命”である奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡での大型建物跡の発見は、江戸時代中期の儒学者、新井白石が大和説を提唱して以来続く邪馬台国論争にほのかなゴールをかいま見せる成果となった。魏志倭人伝の解釈や発掘調査、科学力を駆使した研究の積み重ねによって、古代史最大の謎が解き明かされつつある。

 「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長は強調する。

 邪馬台国論争の歴史は古く、新井白石が大和説ののちに九州説を提唱し、国学者の本居宣長も九州説を打ち出すなど本格化。現在は、考古学的なアプローチが中心だ。

 纒向遺跡ではこの20年間、桜井市教委を中心に箸墓古墳(全長280メートル)など最古級の前方後円墳の調査を精力的に進めてきた。かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代測定法の成果などによって、3世紀の邪馬台国時代にさかのぼる可能性が高まった。

 所在地論争の最大の決め手は卑弥呼が中国・魏から授かった金印の出土とされるが、丹念な調査が邪馬台国の実像をあぶり出しつつある。白石館長は「長年の研究の蓄積によって『九州説は無理だろう』という考古学研究者が大半を占めるようになった」と指摘し、「全容解明へ文化庁や県が調査に乗り出すなど態勢づくりが必要だ」と話した。(11月11日産経新聞)

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2009-10-26

日本最古級:2万3000年前の住居跡の発掘!

旧石器時代の住宅跡が発掘されたそうです。
生活をしていた跡が各所にあり、先祖の生活様式が想像できます。
ぜひ発掘跡は残して(道路建設との兼ね合いが難しいでしょうが・・)、これからの新発見を期待したいです。


■神奈川県相模原市城山町の小保戸(こほと)遺跡から、約2万3千年前の旧石器時代の住居跡とみられる遺構が4基検出された。直径2・5~3・5メートルの円状に河原石礫が並べられ、内部からは炭化物片や石器が多数見つかった。調査を担当する財団法人かながわ考古学財団は「この時代の住居跡は珍しく、年代的にも最古級」と話している。

 遺跡は相模野台地上にあり、さがみ縦貫道路(圏央道)建設に伴う調査で発見された。関東ローム層にあり、放射性炭素による年代測定で2万3千年前とわかった。

 4基は隣接し、最も残りのいい1基は約100個の礫に囲まれ、中央付近には小さな炭化物片が散らばり、炉とみられる変色した土が確認された。礫は焼かれた跡があり、熱した石で肉などを蒸し焼きする調理用にも使われたらしい。住居内からは、槍先形の石器や小さな石片が多数見つかっており、石器づくりを行ったとみられる。

 旧石器時代は狩猟採集社会で、短期間で移動を繰り返したと考えられている。住居も定住が始まった縄文時代の住居に比べ簡便な構造だったようで、確認例としては大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡(約2万年前)など数少ない。

 平成9年、同じ相模原市の田名向原遺跡で見つかった遺構は直径10メートルの円状で炉や柱穴があり、「旧石器時代の住居跡」として唯一の国史跡に指定されている。小保戸遺跡はこれより約3千年古い。(10月26日 産経新聞)

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2009-10-19

坂本龍馬に届く年賀状発売!(明日20日から)

坂本龍馬の年賀状が明日から販売され、メッセージが来年元日に高知・桂浜の坂本龍馬の像に届くそうです。僕は何を願って書こうかな~!?

■坂本竜馬の情報をまとめたポータルサイト「龍馬街道」を運営する「龍馬街道実行委員会」(福岡市中央区)は、高知県立坂本竜馬記念館などと共同で、竜馬あての年賀はがきを含む年賀状セットを制作した。2千セット限定で20日から「龍馬街道」のホームページで販売を始める

 メッセージを書き、切手を張って投函すれば、来年元日に高知・桂浜の坂本竜馬像に配達。メッセージは同ホームページにも掲載される

 ほかに、竜馬の立ち姿の写真が全面にデザインされたお年玉付き年賀はがき5枚も付いて1セット525円(送料別)。

 「竜馬の魅力は、圧倒的な行動力や決断力だと思う。新年の決意を竜馬に伝えればきっと頑張れる」と話すのは、同委員会の吉冨慎作さん(31)。「大河ドラマも始まる来年の“竜馬イヤー”の幕開けを飾ってほしい」と話している。(2009年10月18日 河北新報)

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2009-10-14

ムソリーニは英スパイだった!?=ファシストに意外な過去

 第一次世界大戦が終わって100年近くたった後でも意外な事実が明らかになるものですね。

■記事■

 英紙ガーディアン(電子版)は14日、第2次大戦中のイタリアの独裁者ムソリーニが一時期、英国のスパイとして働いており、報酬として週100ポンドを受け取っていたと報じた。

 ケンブリッジ大の歴史家ピーター・マートランド博士の研究で明らかになった。

 同紙によると、第1次大戦末期の1917年秋、革命を受け戦線を離脱したロシアにイタリアが続くことを恐れた英国は、当時ジャーナリストだったムソリーニに接近。報酬を与えムソリーニ編集の伊紙「ポポロディタリア」で戦意高揚の報道を続けさせた。
 
 当時の100ポンドは、現在の6000ポンド(約85万円)に相当するという。(10月14日 時事通信)

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2009-09-21

千利休が品質を認めたとされる名物の茶つぼ「千種(ちぐさ)」

 安土桃山時代の茶人、千利休が品質を認めたとされる名物の茶つぼ「千種(ちぐさ)」が9月17日にニューヨークで競売に掛けられ、予想額を大きく上回る66万2500ドル(約6030万円)で落札されたそうです。

 また、千利休の作とされる茶しゃく(茶さじ)も、3万~4万ドルの予想を上回る6万ドル(約546万円)で落札されたとのことです。

 しかし、落札者はアメリカの団体のようですが、千利休がここまで海外でも注目を集めていることが意外でした。
 
 月並みな意見になってしまいますが、価値のある日本文化を過去のものだけにせず、これからも未来にわたって価値が保てる文化を残していきたいですね。

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2009-09-21 │ 歴史ニュース │  コメント : 0
2009-09-19

千利休お墨付き茶つぼ「千種」、6000万円!!

 千利休が、海外で評価されていることが、このニュースからわかります。
 しかし、6000万という値段はすごいですね!

■安土桃山時代の茶人・千利休が品質に関してお墨付きを付与したとされている、茶つぼ「千種(ちぐさ)」が17日、米NYのオークションに出品され、66万2500ドル(約6000万円)で落札された。予想落札価格は10万ドル程度で、6倍以上の値が付いたことになる。

 また、利休が作成、所有していた「今の心」と名付けられた茶しゃく(茶さじ)も競売に付され、6万ドル(約546万円)で落札された。予想落札価格は3万ドル程度で、こちらも人気の高さを示した。(ニューヨーク時事 9/19)


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テーマ : 史跡・歴史的遺物
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2009-09-08

イヌ家畜化の起源は中国、目的は食用!?

 以前から犬は、いつから人間に飼われるようになったんだろうと、犬好きな私は時々疑問に思っていましたが、1万6300万年前からという研究結果が発表されたようです。
 しかも食用!?


オオカミがイヌとして家畜化された起源は1万6300年前の中国南部にあるとする新たな遺伝分析の結果が発表された。ペットではなく食用として飼われていた可能性もあるという。

 研究に参加したストックホルムにあるスウェーデン王立工科大学の生物学者ピーター・サボライネン氏は次のように話している。「東アジアには現在でもイヌを食す文化があるが、歴史を調べる限りその食習慣はかなり昔から根付いていたようだ。イヌが家畜化された理由の一つとして当然考えられる」。

 9月2日に「Molecular Biology and Evolution」誌で発表された今回の研究は、かねてから提唱されている「イヌの東アジア起源説」の信憑性をさらに高めるものだ。

 しかし、先月に発表されたアフリカに固有の犬種、いわゆる“土着犬”のDNA分析結果から、この東アジア起源説には疑問が投げ掛けられていた。現生するイヌの遺伝的多様性は家畜化が始まった地域で最も大きくなるはずだが、8月に発表された研究ではアフリカと東アジアの土着犬同士では遺伝的多様性に違いは見られなかったのである。

 サボライネン氏ら研究チームは今回、ヨーロッパ、中近東、アジアからイヌ1712頭のミトコンドリアゲノム(母親から代々受け継がれるDNA)のデータを集め、169頭については全体を、1543頭については一部のみを分析した。その結果、調査したすべてのイヌでは少なくともDNAの80%が共通であることや、東に行くほど遺伝的多様性が大きくなることが判明したという。多様性が最も大きかったのは、中国を流れる長江の南岸地域だった。

「イヌの遺伝的多様性は東アジアが最も大きい。それが今回の調査で明白になった」とサボライネン氏は言う。また、イヌの家畜化は5400年~1万6300年前までの間に数百頭に及ぶオオカミの個体を基にして行われた可能性があることもわかった。これは、ちょうどアジアの狩猟採集民族が農耕民族的な定住型の生活様式を取り入れ始めた時期と重なる。サボライネン氏が食用として飼われていた可能性を示唆しているのも、それを考慮した上でのことだ。

「東アジア起源説」に疑問を呈した研究論文の共著者で、アメリカ、ニューヨークにあるコーネル大学の生物学者アダム・ボイコは、アフリカより東アジアで多様性が大きいことを証明した今回の研究成果を認めている。しかし、それを直ちに家畜化の証拠とするのは時期尚早で、もっと多くの遺伝学的証拠を集めなければ断定はできないと考えている。

「とはいえ、注目すべき研究成果であることは間違いない。裏付けとなる多くのデータが積み上げられており、イヌの家畜化に関する非常に興味深い仮説が提示された」と同氏はコメントしている。
(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト9月 7日)

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テーマ : 動物・植物 - 生き物のニュース
ジャンル : ニュース

2009-07-05

女性がすすめる歴史資料館

7月4日付の「日経PLUS1」に歴史についての特集がありましたので、記事の一部ご紹介します。

最近、日本の歴史に興味を持つ女性が増え、関連資料を展示した博物館や幕末維新、戦国武将などにゆかりのある場所がにぎわっているそうです。
夏休みに計画している多いようで、歴史好きの女性に全国の歴史資料館の中から、おすすめの施設がランキングされています。

では、注目のランキング順位とは?(クリックするとそれぞれの公式HPに移動します)

1位 江戸東京博物館(東京都墨田区)

2位 姫路城・兵庫県立歴史博物館(兵庫県姫路市)

3位 大阪城(大阪市中央区)

4位 徳川美術館(名古屋市東区)

5位 白虎隊記念館(福島県会津若松市)

6位 高知県立坂本龍馬記念館(高知市)

7位 米沢市上杉博物館(山形県米沢市)

8位 霊山歴史館(京都市東山区)

9位 名古屋城(名古屋市中区)

10位 五稜郭(北海道函館市)

このランキングを見ると、幕末や戦国の激動の歴史が注目されていることがわかります。

人の興味対象は時代を反映するといいますが、現代の女性は今のご時世に何か物足りなさを感じているのかなぁ?と私は思ってしまいます。

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テーマ : 歴史
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2009-06-14

桜井茶臼山古墳の被葬者は誰?

桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)で、石室を囲む「玉垣跡」が全国で初めて見つかったそうです。
以下の記事にもありますように、相当な権力をもっていた大王クラスの墓のようです。

 
■大王クラスの大型古墳の発掘例は極めて少なく、60年ぶりの再調査は研究者の度肝を抜く発見に結びついた。「被葬者の魂を守る施設」「たたりを恐れて権力者の霊を封じ込めた」。前代未聞の発掘成果に、研究者も興奮を隠さない。聖なる白木に囲まれて眠りについた被葬者へ、ロマンは尽きない。

「垣の内側には、被葬者の魂が住むための木製のミニチュアの家などが並んでいたのではないか」と推測するのは和田晴吾・立命館大教授(考古学)。外部世界と隔絶するための玉垣説を唱える。

 「玉垣ではなく、建物跡だ」と主張するのは石野博信・香芝市二上山博物館長(考古学)。古代中国の皇帝陵の墳丘上に建物が設けられた例を挙げ、「被葬者の魂が宿るための建物を設け、中国の制度を積極的に取り入れたのだろう」。

 一方、平安時代の法律注釈書「令集解(りょうのしゅうげ)」には『倭の五王の一人、雄略天皇が亡くなった際、魂が暴れ出したため儀式を行って鎮(しず)めた』との記載があることを指摘する和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)は「柱列には、死者の魂が暴れ出さないよう鎮める役割があったかもしれない」と指摘する。

 調査担当の岡林孝作総括学芸員も「柱をすき間なく立てたのは、被葬者の魂を内部に封じ込めようとした証し。当時の人たちが、亡き首長の霊力に対し、いかに恐れおののいていたかが見えてくる」と話す。

 それほど強大な力を誇った被葬者はいったい誰だったのか。

 奈良盆地東南部には、桜井茶臼山古墳をはじめ邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説が根強い箸墓古墳(同市、全長280メートル)や崇神天皇陵(同県天理市、同242メートル)など、200メートルを超す巨大古墳が6基あり、いずれも大王クラスの墓ともいわれる。
 そのなかで、桜井茶臼山古墳は箸墓古墳などから南に約4キロ離れ、大王説に否定的な見解も。塚口義信・堺女子短大名誉学長(日本古代史)は、崇神天皇が全国に派遣した「四道将軍」のうち北陸を担当した大彦命(おおびこのみこと)を挙げ、「天皇伝承がない桜井茶臼山古墳は、大王に近い有力者の墓と考えるべきだ」と話した。
(2009/06/12 産経新聞)

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テーマ : 歴史
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2009-06-08

豊臣秀吉の死因は脚気?

秀吉が、晩年に錯乱していたことを描いている小説や映画・ドラマをみたことがありますが、脚気も同じような症状を起こすようです。梅毒説もそうですが。

■肺炎や梅毒など諸説入り乱れる豊臣秀吉(1598年没)の死因について、脳神経外科医で作家の若林利光さん(56)=兵庫県姫路市御立東1=が、当時の症状などを基に「脚気(かっけ)だった」とする新説をまとめた。13日に名古屋市で開かれる日本病跡学会で発表する。

 脚気はビタミンB1不足で起きる。足のしびれ・むくみが典型的な症状だが、下痢や失禁、精神錯乱、心不全なども引き起こす。食事が白米中心だとかかりやすく、かつては富裕層に多かった。

 若林さんによると、当時の宣教師がイエズス会に送った報告書に、秀吉が死の直前の約2カ月間、下痢を患って狂乱状態に陥ったとある。別に失禁の記録もあり、いずれも脚気の症状と合うという

 若林さんは「脚気で死亡したとされる徳川14代将軍・家茂と症状が同じ。なぜ今まで『脚気説』が提唱されなかったのか不思議なくらいだ」と新説に自信を見せている。

(6月8日 毎日新聞)



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テーマ : 歴史上の人物
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2009-05-29

「箸墓古墳」240~260年築造 卑弥呼の死亡時期と一致

奈良県桜井市の箸墓古墳について、一石を投じるニュースです。

福永伸哉(大阪大教授(考古学))のお話を引用しますと「箸墓古墳の築造時期は、ほぼ同じころとみられる古墳で出土した銅鏡の研究から、250年前後と主張してきた。魏志倭人伝など、当時を知り得る資料から言えば、これだけの巨大な古墳に埋葬されたのは卑弥呼だろう。ただ、放射性炭素年代測定法は万全とは考えていない。他の方法での実証や検証を積み上げて年代を決めるべきだ」そうです。

邪馬台国は九州説・畿内説がありますが、皆さんのご意見はいかがでしょうか?


■邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳(前方後円墳、全長280メートル)について、古墳の周囲から出土した土器の放射性炭素年代測定と呼ばれる科学分析の結果、西暦240~260年に築造されたとの研究成果を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究チームが研究成果をまとめたことが29日、わかった。248年ごろとされる卑弥呼の死去した年代と合致し、邪馬台国の所在地論争に一石を投じそうだ。31日に早稲田大学で開かれる日本考古学協会で発表される。

 研究チームは、同古墳前方部近くの周濠から発掘された「布留(ふる)0式」と呼ばれる土器の表面に付着した炭化物を測定。「放射性炭素年代測定法」は経年による炭素の減少具合で、土器の年代を割り出す科学的な手法で、測定の結果、240~260年の範囲に相当したという。

 測定した炭化物は、食べ物の煮炊きの際に土器に付着したとみられる。発掘状況から土器は、箸墓古墳の完成間もない時期に廃棄されたとみられ、築造時期に近いとしている。

 箸墓古墳はこれまで、土器の形式によって年代を絞り込む考古学的手法によって、270年前後の築造とされ、中国の史書「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の次の女王、壱与(いよ)の墓との説もあった。

 放射性炭素を利用した年代分析は、炭化物に不純物が混じると年代がずれ、誤差が大きいとして、批判的な見方も根強い。研究チームは、箸墓古墳出土の土器だけでなく、周辺の古墳で見つかった土器でも測定を試みており、ここでも、同様の年代が出たことから、「分析結果の精度は高い」としている。

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2009-05-24

特別展:大正末期~昭和初期、モダン都市の大阪を再現-豊中 /大阪

大阪府豊中市で「大正末期~昭和初期」を振り返る特別展が開かれるようです。

大阪大は私の母校でして、豊中キャンパスには2年生までの教養課程で通っていましたが「大阪大総合学術博物館」という存在は初めて知りました。(卒業後かなりの年月が経っているから最近できたのかな?)

ちなみに「待兼山」という名前は古今和歌集から引用されています。また、この場所からは古代ワニが見つかっており「待兼ワニ」という名前で、その化石がどこかにあったような記憶があります。
(この文章を書いているとき、学生の時の思い出に耽っていました(笑))


以下、記事より。

◇関係資料120点
 「大大阪」と呼ばれ、著しい発展を遂げた大正末期~昭和初期の大阪をテーマに、出版物や広告、パンフレットなどから当時を振り返る特別展「昭和12年のモダン都市へ」が、豊中市待兼山町1の大阪大総合学術博物館で開かれている。1937(昭和12)年製作の観光映画「大大阪観光」(大阪市指定文化財)に描かれた活気あふれる大阪を舞台に、約120点の関係資料を展示している。

 大阪は25年、人口・面積ともに東京市を抜いて日本一のマンモス都市となった。33年には、日本で最初の公営地下鉄、御堂筋線が開業。大阪市電気局と同産業部が製作したこの映画には、豊かな水運を利用した観光艇や最新鋭のプラネタリウムのほか、当時ばい煙が問題となっていた工場群までが「力の象徴」として映し出されている。

 映画館のチラシや飲食店のマッチラベルなどデザイン性の高い展示資料からは、大都市で花開いた洗練された庶民文化が伝わってくる。そのほか、流行の風俗や文化を取り上げた「サンデー毎日」(22年創刊)などの雑誌や、国会議員の選挙ポスターもあり、さまざまな角度から大大阪の素顔に迫ることができる。

 橋爪節也・同博物館教授は「古くて新しい、矛盾する要素を抱えていることこそ大阪の特徴であり魅力。大阪の絶頂期の姿を知ってもらえたら」と話している。

 7月4日まで。午前10時半~午後5時。日曜、祝日休み。入館無料。同博物館(06・6850・6284)。

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2009-05-24

「小江戸」復活へ街並み再現工事/厚木

神奈川県厚木市が江戸の町並みを再現した地区を再開発(?)したようです。
懐古主義的な取り組みだと思いますが、日本人として一度は雰囲気を味わいに行ってみたいものです。

■江戸時代に都と見まがう街の華やかさから「小江戸」と呼ばれた厚木市東町地区で、江戸時代風の街並みを再現する工事が完了した。東町商栄会と天王町商盛会の二つの商店街が整備を進めていたもので、店舗など二十五棟が瓦ぶき風のひさしや木製の看板を使った外観に改装し、街並みに統一感を持たせた。

 外観を改装したのは約三百メートルの道路沿いの店舗などで、老朽化したアーケードを撤去し、看板、ひさし、日よけのデザインを統一。シャッターには駄菓子屋やそば屋など、江戸時代のにぎやかな店先の様子が描かれている。

 地域活性化のため、地元商店街と自治会が中心となって、街並みを統一するためのガイドラインを二〇〇七年度に策定。外観改装費の七割を市が補助し、今年一月から工事が進められてきた。

 四月末ですべての工事が完了。今月十六日に約三百人が参加し、完成記念式典が開かれた。

 厚木市の市街地東部は古くから相模川の河川交通の要衝として栄え、江戸時代末期に厚木を訪れた蘭学者渡辺崋山が「厚木のにぎわいは、都と変わらない」と書き記した。そうした地域性を生かした「小江戸まつり」が〇五年から行われている。

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2009-05-14

3万5千年前のビーナス像!!

 現代人の祖先といわれるクロマニョン人が、芸術品を作っていたというニュースです。
 ビーナス像がその後、欧州で開花する創世記のようです。
 
 それにしても、3万5千年前にこのような造作が造られていたことには驚きです。
 (ちなみに歴史学者の間では、7万5千年前に芸術が興ったとされているようです)

■約3万5000年前に彫られたとみられるビーナス像を、独チュービンゲン大学の研究チームが、同国南西部のホーレ・フェルス洞窟(どうくつ)で発見した。

 マンモスの牙を彫ったもので、人類最古の彫像となる。14日付の英科学誌ネイチャーに発表する。

 ビーナス像は高さ約6センチ、幅約3・5センチで重さ約33グラム。左肩と左腕の部分が欠けているが、ほぼ完全な姿で発掘された。頭部はもともとなく、上端にひもを通す穴がある。当時欧州に進出していた現生人類(クロマニョン人)が作り、ペンダントにしていたとみられる。これまで最古の彫像は同じ洞窟で発見された3万~3万3000年前の水鳥や馬の頭だった。

 東京大学総合研究博物館の西秋良宏教授は「年代的に見て欧州に現生人類が進出した直後に、彫刻といった芸術が花開いたことを示す成果だ」と話している。

↓足が短く(大根足!)、グラマスな感じです・・・。
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(5月14日 読売新聞)

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2009-05-13

平城宮跡:無断掘削、深さ140センチの穴 奈良時代の地層突き抜ける

 この時代に平城京跡を掘削した以下■の事件があったようですが、個人的にかなり首を傾げてしまいました。

 まず、犯人がそのような事を起こした契機が不思議です。

1.まだ未発掘の宝石類が埋まっていると考えたから?
2.単なる興味本位?
3.国家に対する抗議?

また、政府のこれまでの対応にも疑問でした。
 
奈良文化財研究職員のコメント「周囲に散らかっていた土器や瓦は見当たらなかった」という箇所です。
(盗賊類が、万が一そのような文化財を発見したら、これまで(千年以上遡って)の政府としての調査があまりにも遅すぎます)

 文化財として認めている以上、中央政府と自治体で、これ以上は文化財が見つからないという程まで徹底的に調査して欲しいと個人的に感じました。

■ 奈良市の世界文化遺産・平城宮跡(特別史跡)で11日、無断で掘られた穴(縦約150センチ、横約100センチ、深さ約140センチ)が見つかり、文化庁が奈良署に文化財保護法違反(形状変更)容疑で被害届を出した。しし
 文化庁や同署によると、現場は平城宮跡資料館の南東約180メートル。奈良文化財研究所職員が11日正午過ぎに見つけた。8日午前には異常がないことを確認しており、同署は8~11日に何者かが穴を掘ったとみて調べている。
 平城宮跡内の発掘調査を担当している奈文研の井上和人・都城発掘調査部長によると、現場は宮内の役所などが置かれていたと考えられる場所で、未発掘地区。地下1メートルほどで奈良時代の地層になるというが、穴はそれより更に深くまで達していた。
 井上さんは「国民の財産を破壊している。周囲に散らかっていた土からは土器や瓦は見当たらなかったが、とても愚かな行為だ」と憤った。文化庁は現場を修繕して警備を強化する。

(5月13日16時1分配信 毎日新聞)

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2009-05-09

江戸時代の小田原城をCGで再現!!

大阪から東京に上京した時に、憧れの小田原城跡を見学しに行ったことがあります。

秀吉が、難攻不落といわれた名城を攻める際に、墨俣一夜城を築城したりなど、苦労が多かった逸話を本で読んでいただけに、実際の城跡を見たときは、正直言うと規模の小ささにがっかりしました。

ただ、この江戸時代の小田原城を再現したCGを見た時は、当時のスケールの大きさに納得しました。

ぜひ、CGを見てみてください。難攻不落といわれた小田原城が見事に再現されています。
(「YOU TUBE」のサイトから、直接見たほうが、通信速度の関係で見やすいです)


小田原市も相当お金がかかったと思います。観光誘致の目的もあるとは思いますが、文化的な活動に拍手したいです。


■小田原市は八日までに、三次元コンピューターグラフィックス(CG)で再現した江戸時代の小田原の姿を市ホームページ(HP)に掲載した。小田原城に加え、百余りの旅籠(はたご)が軒を連ねていた東海道屈指の城下町の様子をイメージできる内容となっている。

 「小田原城3Dプロジェクト~CGによる小田原」は、市が既存のウェブサービスを活用した市民への情報提供の手法を調査・研究するなかで生まれた。

 江戸時代の古地図を基礎に作成されており、天守閣や常盤木(ときわぎ)門、銅(あかがね)門といった城郭のほか、本丸御殿、二の丸御殿、武家屋敷群なども加えられており、小田原城が最も華やかだったころの姿が立体的に再現されている。

 北条氏が豊臣秀吉との決戦に備え、小田原城を中心に堀と土塁を築いた総延長約九キロ、面積約三百四十八ヘクタールの総構(大外郭)が作成範囲。

 閲覧者が江戸時代の小田原を鳥瞰(ちょうかん)しながら回遊する仕組みで、近世城郭、東海道、城下町、小田原・城古郭と総構、石垣山一夜城など八エリアに分類。インターネットに接続したパソコンで自由にダウンロードして楽しむことができる。

 アドレスはhttp://www.odawaracastle.jp/

(5月9日0時0分配信 カナロコ)

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テーマ : 歴史
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2009-04-24

池田事件跡が復活!(130年ぶり)

 池田屋事件の跡地は、昨年から空ビルでしたが「池田屋」の屋号を付けた居酒屋が開業するそうです。

 当時のエピソードを模した造りにもなってるとのことです。仕事での京都出張のときに是非行ってみたいです。

 また、河原町通りの四条と三条の間にある「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」も当時のことを忍ばせられるような建物になればなぁ~と思ってしまいます。(今はパチンコ店ですが・・・)


■幕末の大事件「池田屋騒動」の舞台となった京都市中京区の「池田屋」跡で、約130年ぶりに「池田屋」が復活する。7月に新たに開店する居酒屋の店名に「池田屋」が冠されるためで、地元の商店主なども「町おこしの起爆剤に」と期待を寄せている。
 
 「池田屋騒動」は1864(元治元)年7月8日に発生。旅館池田屋で会合していた尊王攘夷(じょうい)派の土佐、長州藩士らを新選組が襲撃し、新選組の名を世間に知らしめるきっかけとなった。主人の池田屋惣兵衛は反幕府勢力をかくまったとしてとらえられ獄死。池田屋も営業停止となった。その後、縁者らによって近くの三条木屋町付近で同じ屋号で営業していたが、やがて廃業した。
 
 三条通の池田屋跡地は戦後、別の経営者が旅館を経営後、ファストフード店の入るテナントビルやパチンコ店などになった後、昨年初めからは空きビルとなっていた。
 
 居酒屋チェーン「チムニー」(東京都)が新たに開く店名は「はなの舞 池田屋店」で、池田屋の名前が復活する。地上2階、地下1階の現代的な建物だが、内装は江戸時代をイメージし、騒動を題材にした映画やドラマなどに度々登場する「池田屋階段落ち」の高さ約7メートルの階段も設ける予定。
 
 同社は「旅行業者とタイアップするなど、地元の観光振興に役立ちたい。騒動の跡地ではあるが『癒やし』の場を提供していきたい」としている。
 
 地元の商店主でつくる三条小橋商店街振興組合の大西弘太郎理事長(55)は「新選組の法被を作り、跡地に案内板を建てるなどの取り組みをしてきだだけに、池田屋の名前の復活はうれしい。さまざまな面で、地域が盛り上がるように協力をしていければ」と期待を寄せている。

(4月24日14時59分配信 京都新聞)

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2009-03-23

「卑弥呼の宮殿」邪馬台国論争が再燃

邪馬台国は、かなり昔から畿内説、九州説の両方から議論されていますが、今回は機内説からのニュースがありましたので、紹介します。

『邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が20日発表した。

  過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認。当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。

 女王・卑弥呼が活躍した時期とほぼ一致しており、卑弥呼がまつりごとを行った宮殿の一角との見方が浮上、邪馬台国畿内説に弾みをつけそうだ。

 調査は、約100メートル四方の高台のうち、西端約400平方メートルで実施。新たな建物跡は一辺が6メートル以上あり、昭和53年に見つかった建物跡(一辺5メートル)の東側で見つかった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。

 3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。

 柵は、全体の長さが約40メートル。53年発見の建物跡を凸字で囲むように南北へ伸び、東に折れ曲がっている。

 3棟は、西端の一棟がある「外郭(がいかく)」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある「内郭(ないかく)」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。市教委は「建物群が特別な施設であることは間違いない」としている。』
(3月20日 産経新聞より引用)

遺跡の写真はこちらから
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/233748/slideshow/164318

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